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倒産も破産も離婚も・・

 

進んでリスクを取っていくと、

時には失敗する事もあります。

 

倒産とか破産とか離婚とか・・・

これも失敗の1つだと言われればそうかもしれない。

 

ただ失敗はトライした後の結果なのであって、

トライしなかったら失敗も成功もありません。

 

電話を発明したグラハム・ベルも

もともとは聴覚障害者の妻の為に試作した補聴器の失敗作が電話に。

 

アメリカ大統領の中で最も尊敬されるリンカーンも2度の事業失敗と、

母と婚約者との死別、8回の落選を経験しています。

 

車のフォードで有名なヘンリー・フォードも

自動車の会社が成功するまでに5度の破産をしています。

 

偉人を例に挙げればきりがないですが、

そこには失敗という経験が礎になっています。

 

逆に言えば、

これだけの挫折と敗北と不運を経験したからこそ、

あれだけの偉業を成し得たのだと思います。

 

 

子供頃、学校の先生には、

『失敗しないように・・・』と教わりました。

もちろん親や祖父母にも同じ事を言われて育ちました。

 

でも、本当は

「失敗しないように・・・」ではなく、

「失敗したらどう起き上がるか・・」を、

教える事の方が重要なのだと思います。

 

私は決して経験値の高い立派な人間でもありません。

一度倒産を経験したぐらいです。

破産も離婚も経験した事はありませんが、

最後に私の好きなリンカーンの言葉を残します。

 

「あなたが転んでしまった事に関心は無い。そこから立ちあがる事に関心があるのだ」

 


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自分で選んだ道をひたすらに・・

 

華やかな舞台の裏には泥臭い舞台稽古が

劇的なホームランの裏には血のにじむ素振りが

そして、スターダムの影には長い下積みがありますよね。

 

私の仕事はというと・・

華やかでも、

劇的でも、

スターダムでもありません。

 

泥臭い作業と地道な交渉事ばかりです。

そればかりと言っても過言ではありません。

 

だから嫌いなのか?というと、

そうではありません。

 

自分に向いているかどうかなどと問うた事もありません。

 

自分でその時に選んだ道をひたすらに歩いているだけの事。

 

 

テレビを見ていると時々、

「生まれ変わったら何になりたい?」

と、問うシーンを見る事があります。

 

そういう時、人は自分だったら・・・

と、空想する事があるかと思いますが、

所詮、一瞬の現実逃避でしかありません。

 

そう言うと、

「あなたには夢も希望も無いのか・・」

と、お叱りを受けそうですが・・・・

夢や希望があるからあえてそう言うのであって

 

生まれ変わったら・・

などと考えるのはあの世にいってからでも遅くはありません。

 

人は今ある現実を前だけ向いて、

そして歩いていく事以外に出来ません。

 

なので、私は生まれ変わっても同じ事をしていると断言出来ます。

 

自分で選んだ道をひたすらに歩いていきます。

 

 

明日から三連休ですね。

皆さん思いっきり楽しんで下さい。

 

ではまた。

 


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2度の離婚も自己破産も自宅売却も・・・

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一月は幸運にもとても素敵な方と出会いました。

一目見て直感でご縁を感じてしまいました。

 

皆様の中にも一目見て、直感でご縁を感じてしまう事、

一度か二度か、もしくはそれ以上ある人もいるのではないかと思います。

 

異性同性に限らず。

 

 

とても素敵なその方は・・・

 

目が生き生きとしていて、

背筋がピンとして、

笑顔に柔らかい温かさがあって、

声もしっとりと穏やかで、

決して驕らない。

 

本当に好感の持てる方。

 

一見すると、何も不自由なく、幸せに歩んでこられたのだろう・・

そんな印象がありましたが、よくよくお話を聞くとその真逆でした。

 

2度の離婚と倒産と連帯保証人での自己破産。

 

 

そんな過去の持ち主。

 

 

いずれ僕の仕事を手伝って頂ければなぁ・・

と思っています。

 

幸あれ!

 


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離婚不動産売却への道  必要な時にそっと手を差し伸べるサービスを③

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ママの賃貸の一件から

何事も本気でぶつかれば何とかなる!

本気でぶつかれば気持ちは伝わるんだ!

と、思うようになりました。

 

その頃は既に夜の社会勉強も卒業して、

賃貸の仕事1本に本気で没頭していました。

 

入社したのは6ヵ月前

新宿の賃貸の会社

社員数は15人ぐらい

私の教育係は年下の課長

 

その年下の課長に不動産のいろはを教えて頂きます。

 

不動産のいろはと言っても、

営業のいろはではありません。

主には上下関係と言葉使いのいろはを教わります。

 

「俺はここで中野陸軍学校を作る」

これが歴史好き(特に戦時中)の課長の口癖で、

絶対的服従の司令塔になる事がその課長の目標でした。

 

なので年下の課長でも逆らう事はもちろん許されませんし、

指示に対しては1つ返事で返さないと蹴りが飛んできます。

 

 

入社の翌日に課長に渡された手書きのメモには・・・

 

入社日より3ヵ月間の試用期間に行う事・・と帯書きがあり、

その下に・・

 

①新宿区・渋谷区・中野区・杉並区・世田谷区の物件の写真撮り

・1日100件以上、電車、車は使用禁止、徒歩のみ

②デジカメの電池の予備を用意する事

③1時間に一度の電話報告、会社からの電話には2コール以内に出る事

④近くの他社物のオーナーに飛び込み営業

・1日20件以上、オーナーの名前、電話番号、他の所有不動産の概要も確認

⑤1日のノルマをクリア出来なかった場合は、休日返上もやむなし

 

この3ヵ月の試用期間をクリア出来たものだけが営業ができるというもの。

 

雨でも台風でも決行されます。

ちょうど梅雨時の6月に入社して

残暑厳しい9月まで歩き続けました。

 

その時に

消耗して履き換えた靴は5足。

消費した体重11キロ。

日焼けして顔の皮が剝けた回数10数回。

足に出来た血豆が潰れた回数数え切れず・・・

辞めたくなった回数数え切れず・・・

 

私が入社して3ヵ月間、

私のほかに6人ぐらい入社しましたが、

残ったのは私だけ。

 

なぜ、こんな会社を辞めなかったのかというと・・・

本当のところ、今でもよくわかりません。

 

ただ当時自分に言い聞かせていたのは、

「絶対に見返してやる!!」

 

誰に?という訳では無かったと思いますが、

自分に負けたくなかったのかもしれませんね。

 

その課長のお陰(?)で

初月の営業成績は2位

翌月は1位

翌々月も1位

 

その後も係長や課長の成績も追い越して

2位とは倍近い契約本数でぶっちぎりの1位

 

中野陸軍学校の司令塔の教育システムが良かったのか・・・

それに負けなかった自分が良かったのか・・・

 

営業を始めて6ヵ月後に

その会社では不在だった店長職になる事が出来ました。

 

27歳と半年。

 

その日は年末の30日だったか31日だったか・・

その時付きあっていたけど、ほとんど会えなかった彼女が、

会社の近くまでマーチで迎えに来てくれました。

 

夜の11時頃。

 

人っ子一人歩いていない静かな都庁脇を通って

アルバイトの頃から何年も通った方南通りへ。

 

助手席から後ろを振り向くと西新宿の夜のビル群。

そして渋谷区本町4丁目あたりから見える大好きな西新宿の夜のビル群の明かり。

半年前と明かりの色が違って見えるのは言うまでもありません。

 

 

続きは次回に・・・

 


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離婚不動産売却への道 必要な時にそっと手を差し伸べるサービスを②

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夜の新宿の社会勉強のお陰で、

いろんな方とも知り合いました。

 

特に2丁目で知り合った方々は名前こそ出せませんが、

一部上場企業の創業者や社長さん、

いつも運転手付きの車でやってきます。

 

それから

芸能事務所の社長、

有名スポーツ選手、

芸能人や昔芸能人だった方、芸人、

著名な作家やパーソナリティや歌手、

 

それから、

特に刺激的な体験談を話してくれたのは、

韓国系の企業家と、元北朝鮮の工作員の方々でした。

 

もちろん身の内を明かしてもらったのは、

知り合ってだいぶ経ってからですが、

知り合って当初は、そんな肩書を知りませんから、

仕事以外のくったくのない世間話をするのですが、

着ているスーツ、持っているもの、

時計、バッグなどの高級ブランドを身につけているので、

普通のサラリーマンではない事ぐらいは小僧の僕にもわかります。

 

普通であればお話も出来ないような方々ですが、

こと2丁目のバーに入れば、なぜか皆同じ『人』の扱いです。

 

名前をちゃん付けで呼んだり呼ばれたり、

あだなで呼んだり呼ばれたりします。

 

アルバイトも上場企業の社長も、無職も、自称芸人も

皆同じレベルで話をします。

年収で話をしません。

 

そして、皆言葉を選ばず思った事を思ったように吐きだすのですが、

それでいて、喧嘩は一度もありません。

 

引越し屋のアルバイトと、

植木屋のアルバイトをしていた僕に対しても、

それはそれなりの厳しい言葉が飛んできます。

 

なぜ、長崎から出てきて植木屋のバイトなのか?

引越し屋のアルバイトなのか?

 

から始まって、ぼろくそに言われます。

 

酒も入っているので、

言葉をオブラートに包むなんて事はなく、

皆自分の事を棚に上げて言いたい事を言う訳です。

 

僕が言い返そうと言葉を選んでいると、

いつものたけちゃん(60代の一部上場の社長さん)が

『これからだよな・・まっちゃん!!』

と、助け船を出してくれます。

 

そうすると、カウンターの中のママ(男)が、

『もう既に終わってるよ・・時すでに遅し・・・』

と、わざと消しかけます。

 

たけちゃんは

『いつも・・これからだよ・・』

と言って、私を慰める言葉をかけてくれます。

 

するとママが何を思ったか・・

『ところで私、彼氏と別れたから部屋出ていく事になったんだけど・・

まっちゃん私の代わりに部屋探してきてくんない・・』

 

『俺が・・無理だよ・・明日バイトだし・・』

 

『バイトなんか休んじゃいなよ・・』

 

『いや・・それは無理だ・・』

 

『今、インターネットでも部屋探せるんでしょ・・

誰かパソコン持ってないの??』

 

『・・・・・』

 

『じゃ・・まっちゃんバイト辞めて、不動産やになって物件探してきてよ・・』

 

これが僕が不動産業に足をいれるきっかけです。

 

4ヶ月後、ママの引越しも終えて、

引越し祝いと営業から昇格した私のお祝いを兼ねて

バーでパーティをする事になりました。

 

実は賃貸で部屋を借りる時、

夜の飲食業(自営業)はオーナー(大家さん)うけが良くなく、

物件の管理会社の審査が非常に厳しくて、

申し込みの段階で4・5件断られてしまいました。

 

候補にしていた最後の1件は、

どうしても断られる訳にはいかない。。

 

という事で、

私が大家さんに飛び込んで直接交渉し、

家賃を毎月3,000円上乗せする事と、

先に2カ月分の家賃を支払う事で契約にこぎつけました。

 

またママは保証人もいなく、

今のような保証人不要のシステムもなかったので、

保証人の代わりに敷金を2カ月上乗せして担保してもらいました。

 

パーティも終えて飲み代の支払いの時に

おつりと一緒にママから小さな手紙をもらいました。

 

「いい不動産屋になってね。

ただの不動産屋じゃ許さないよ。」

 

と。

 

 

続きは次回に・・

 

 

 

 

 

 


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